麻とヴェルヴェット
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ファッションも、あんまり見過ぎると不毛な気持ちになってきます。
それはいいものも、悪いものも両方見ているから。 悪いものは身体に悪い。 さて、こう長くコレクションだ、雑誌だなんだと観察してきてわかるのは、 これらの多くが忘れ去られる運命だ、ということです。 人々の記憶に残るものなんてほんのわずかだし、 そのときはものすごくもてはやされていたとしても、 必ずしもそれが後年、評価されているとは限りません。 あのときはあんなに人気だったのに、評価が高かったのに、 今じゃみんな忘れているし、よかったなんて言ってないよね、 というものはたくさんあります。 では何を覚えているのか、 そして基準にしたらいいのかということですが、 それは結局、自分とその生活です。 やっぱり自分が何を着ていたか、どういう生活をしていたかが、その人にとっては 死ぬまで大事なこと。 他人や世間の評価など、最終的にはどうでもいいのです。 もっと言うと、残るのはそれを着ていたときにどう感じたかということで、 これはその人だけのもの。 誰かがどう感じたのかなんて、そもそもその人にはわからないし、 気にしてどうにかなるわけでもない。 ときたま「好き」がわからないという人がいますが、 それでも話しをしていくと、何が嫌とか嫌いとかはわかっていることが多いです。 嫌いとか嫌という感情は、 くさびとなって心に深く入り込み、 何年たっても消えません。 時には、その心のくさびをとるために何か特殊な施術、 それをヒーリングと人は呼びますが、 を受けなければなりません。 小さいころ、本当は着たいものがあったのに着られなかった、 親にだめだと言われた、 これらは小さいけれども、確かに存在する鋭いくさびとなり、 その後、何年もその人を苦しめ、 「好きなものを選べない」という症状を作り出します。 「好き」がわからないのなら、 せめて「嫌い」とか「嫌」なものは選ばないようにしないと、 人生そのものが空しくなってしまいます。 みんながいいと言っているものでも嫌いなら選ばなくていい。 結局、そのことが自分自身を救うことにつながります。 Comments are closed.
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AuthorNaoko Kobayashi Archives
September 2023
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