麻とヴェルヴェット
|
何回か書いているけれども、
ある時期から、ファッションレッスンを受けに来る40代の方が、 うちにクレームを持ってくるようになりました。 そのほとんどが、「●●さんのところでアドバイスをもらったり、コンサルタントしてもらって、 あなたはこれを着なさいと言われたけれども着たくない。着なくていいか」 というものでした。 そのたびに、着たくないなら着なければいいと答えました。 こういう方たちは、 これといって好きなものがない、ついてはどなたかに選んでいただきたい、 けれどもその選ばれたものは嫌い、というわけです。 好きなものはないけれども、嫌いなものはある。 どうして嫌いか聞いていくと、 カラー診断で言われた方はその色が嫌いということでしたが、ほかは、 「着た感じが嫌い」「着たくない」など、 非常に感覚的なものでした。 問題にしているのは感覚です。 ファッションは、広告や雑誌、コレクションを含めて視覚が強調されている分野ですが、 実際に着る側にとっては、視覚よりも肌触りといった触覚や、 着て感じる軽さ重さ(これはなんていうのだろう?)、 窮屈さやゆるさなど着た時の視覚以外の感覚の比重が大きくなります。 鏡がないと全身は見られないので、これはしごく当たり前です。 「おしゃれに見える」とは五感の一部である視覚に対する訴えたときの話です。 けれども、着たときは、触覚とその周囲の感覚、 身体と衣服との関係を無視することができません。 若いときはきつくても、着にくくても、多少かゆくなったとしても無視することができた、 自分の身体と衣服との関係が、もう我慢ならない、つまり嫌い、 となるのが50歳あたりかなと思います。 私などは30代から、 ストッキングはかゆくてはきたくないからはかないし、 ワイヤー入りブラジャーも3時間ぐらいしかしていられないほど苦しいのでしません。 この部分においては視覚ではなく、身体感覚優先です。 身体感覚の優先順位が上がってくるのが50歳ぐらいなのかもね。 え、なんですって?ラフ・シモンズ、もうカルバンクラインやめるの?? Comments are closed.
|
AuthorNaoko Kobayashi Archives
May 2023
|