麻とヴェルヴェット
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社会的な位置づけが全くない人などいなくて、
家族は社会の最小単位ですから、そこにいるだけでも社会です。 位置づけがないのではなく、受け入れがたいということだと思います。 社会でのリアルな位置づけが受け入れ難いと、着るものがわからない。 なぜなら衣服は社会に対するアイデンティティ の表明のために使うものでもあるからです。 けれども、それならなぜ50歳なのか?ということです。 社会と年齢は関係ありません。 前の記事で、「誰かの恋人」という役割があったら、 着る服はある、正確に言うと、何を着たらいいかわかる、になるだろうと書きました。 日本で恋愛する人というのは全体の2,3割ぐらいしかいないそうですが、 50歳でとなると、もっと減るだろうということは簡単に予想がつきます。 江ノ島で熟年カップルがあんなにも楽しそうなのは、 多くの人が持つことのできない「恋人」という役割をその年齢にして持つことができたからでしょう。 それはいいとして。 西洋の衣服というものは、着物に比べて女性的要素が強いものです。 女性的要素、つまり女性しか身につけないものです。ハイヒールとかスカート。 よって、男性に対して恋人となったとき、 それが山登りでもない限り、多くの場合、女性はその女性的な要素がふんだんに使われた装いをします。 それは江ノ島の熟年カップルを見れば一目瞭然です。 そういうカップルのうち女性が、「男なのか?女なのか?」わからないスタイルの人は、 ほぼいません。(全くいないとも言いきれません) 50歳で着るものがわからないというのは、 ひとつにこの女性的な要素を取り入れるべきか、取り入れないべきかという問題が浮上するからだと思います。 これが40歳だったら、まだ「女らしさ」を追求するのでしょう。 40代向けの雑誌もそういう感じのものが多いです。 50歳で今から誰かの恋人になる? もしくは、夫とはどういう関係なの? ということです。 これに対して、ええ、まだまだ恋愛するわ! 夫も私のことを女として見ているわ! という場合、着るものはあると感じるでしょう。 女性的要素が強い服はたくさん売っていますから。 自分の社会的な位置づけがはっきりしない、もしくは納得しない、 そしてもう男性に対しての女性を意識しないとなったとき、 社会は急にフラットになって、 着るものは、単に楽で心地よいものか、安くて買えるものか、 そして最後に、好きなもの、 という感じになるのではないでしょうか。 でもこういう方の場合、 雑誌から好きなスタイルを切り抜きしてくださいねと言っても、 切り抜くことすらできないんですよね。 過去に、切り抜きが2枚しかなかったみたいな方は何人かいました。 世の中には、好きなスタイルなどない、人もまた、いるのです。 Comments are closed.
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AuthorNaoko Kobayashi Archives
November 2023
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