麻とヴェルヴェット
|
私がアパレル会社で働いていたころは、
バブル崩壊の後だったんですけれども、 今に比べればまだまだ全然景気はよくて、 株で儲けた人とかじゃなく、 普通に働いている人の中でもお金がある人がいました。 今でも覚えているのは、 会社に来ていた商社の男性社員の方々で、 見るからにいいスーツを着ていました。 なんだろう、あれは。 生地の輝きとか、その人の肉体以上に立派に見える感じとか、 そういうので、それはいいスーツですよね、とわかるわけです。 (まあ、そんなスーツのおじさんが、 わかばのタイ焼き持ってきて、私に無給残業させようとするから怒ったわけですが、 それはいいとして) あれから20年余り、 会社員の男性のスーツが、あれれ、どうなっちゃったの? というぐらいにひ、ひどいな、ということに先日、気づきました、東京駅で。 まあ、仕事用のスーツになんか、お金をかけられないのでしょう。 でもね、いいスーツを着ると見違えるようになるのです。 なぜなら、スーツというものは、西洋の肉体美を表現しているからなのです。 そりゃあ、毎日、ミケランジェロの彫像を見て生活している国に住んでいる人が作るのは違いますよね。 スーツは筋肉がデザイン化されたものなんです。 しかも理想的な形で。 Comments are closed.
|
AuthorNaoko Kobayashi Archives
February 2021
|