麻とヴェルヴェット
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ミウッチャ・プラダ様が、
例えば、「ミレニアム世代」というふうに若者をくくって単純化されるのが 心配というか、気がかり、なぜなら若者はみんな違うのに、 というようなことを言っていて、 これは欧米のファッションに対する姿勢の1つをあらわしている発言だと思いました。 欧米人にとって「ファッションというものはひとりひとり違う個性の表現であり、 決して単純に一つにまとめることができないもの」という大前提があります。 その結果、コレクションでいろいろなデザイナーがいろいろなデザインのものを発表するわけで、 そこが「みんなが同じものを着ればいい」という考えの人が少なからずいる日本とは、 大きな違いであり、その結果、起きる現象も変わってきます。 洋服の世界においては、例えば男性がスーツを着るにしても、 どこかしら単純化からの脱却の試みがなされるのがおしゃれということだと考えられていて、 同じに甘んじるというのは、言うなれば個性がなく魅力がない人ということになるでしょう。 もちろん女性もそれと同じです。 ミウッチャ・プラダ様が「クラッシックのルールを壊したい」というときに、 確かにルールはあるけど、もっと新しいものに変えたいし、 それは単純化からの脱却の方法でもあるのよね、 ということを言っているのだと思います。 もちろんそれは選ばれない可能性、つまり売れない可能性もあるわけですが、 それにしても、チャレンジしたことに意味があるわけで、 それだけでも負けではないわけです。 本当に負けた人というのは、自分で何も考えず何もやらない人なわけですから。 だから洋服の世界においては、ちょっとぐらい変な格好でも、 脱単純化の試みをし、自分の個性を表現する人のほうが評価されます。 おしゃれであっても誰かと同じは「あ、そう」で終わるのです。 だから、例えば「おしゃれ」がテーマのイベントで、 みんなが似たような格好をしていたとすれば、それは失敗で敗北です。 「みなが同じ」は、それがたとえ記号としてのおしゃれであったとしても、 人生の負けです。 そういう意味では、私が主催するイベントに来る皆さんは見事に違う格好をしている。 すばらしい! 同じ格好の人はいません。 みんなばらばらで美しいです。 Comments are closed.
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AuthorNaoko Kobayashi Archives
November 2023
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