麻とヴェルヴェット
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トレンチコートはまさに今着るのにいいと思うんだけれども、
着ている人を見ませんね。 革ジャンもそうですね。 今着ないとね。 今は暑すぎも寒すぎもないから。 そう考えると、 トレンチコートって着る時期が日本では少ないです。 大学生のころ、11月になったらコートを着ていいと、自分に許可をしていました。
朝晩が冷えるので。 今年もそんな感じでしょうか。 今ごろが、服を楽しむには一番いい気候だと思います。湘南エリアは。 暑すぎても寒すぎてもだめなんですよね。 だから、1年じゅう暑い国とか、1年じゅう寒い国では、 洋服はあまり発展しません。 やはり暑さ寒さをしのぐのが一番大事ですから。 あと、部屋の中の温度。 日本の家は冬、薄着では無理な設定のおうちが多い感じですが、 どうでしょうか。 暖房費がかかりますからね。 よくアメリカなんかの通販のカタログに クリスマス用にひらひらしたドレスが載っていますが、 あれなんか、お部屋が暖かくないと無理だと思います。 うちのほうでもときたま、庭に暖炉用の薪が置いてある家があって、 暖炉があるならさぞかし暖かいだろうと思いました。 しかし、湘南で暖炉も大げさですね。 暖炉のある部屋に憧れます。 このあいだまで冷房をつけていたのに、
もうストーブ。 11月に入ったらすぐ冬なのでしょうか。 この前のファッションレッスン中級のときに、 ウエストゴムのスカートの話になったのですけれども、 あれはなぜあんなに大量に売られているのか、ということです。 もちろん、楽ちんがいいという人が多いからよく売れるということもあるでしょう。 しかし何よりも、ウエストゴムというのは、ダーツもないしとか、 ウエストもゴムだしとかで、ものによってはファスナーもなかったりするでしょ。 そうすると、作るのが簡単なんです。 つまり工賃が安いわけ。 ファスナーもなかったら、材料費も安い。 素材もポリエステルだったら、もっと安い。 縫う部分が少なくなるので早くできるし。 とにかく安くを追求したら、 ウエストゴムのスカートになるでしょう。 もちろんハイブランドでたまにウエストゴムのスカートもありますけど、それはまた別。 ただし、作るのが簡単なのは一緒です。 さて、そろそろ夏物を本当にしまってもいいかも、という気候になってきました。
ほとんどのものは洗えますが、 それでも中には洗うと問題があるものもあります。 特にインポートは日本とは基準が違うみたいで、 色落ちするものもあります。 例えばシルクのシャツ。 ものによっては色落ちします。 私もひょう柄のコットンシルクのシャツを洗ったら、 なんと、ブルーの色水が出てきて、全体がブルーになってしまいました。 (ちなみにこのひょう柄、フランソワ―ズ・サガンが着ていたシャツにそっくりで、 マダムぽくて、似合わないのなんのってそれはもう) まあ、自分で洗っちゃったんだからしかたがない。 ということで、着ては洗って、着ては洗ってを繰り返していたら、 その落ちたブルーがなくなり、 今ではもとの感じに戻りました。 わからないものですね。 先日も、夏のファッションレッスンのときに着ていた、 複雑な作りのあの服を、 コットンポリエステルだったので、なんか洗えるだろうと思って、 端のほうを洗ってみたら、大丈夫そうだったので、 全体を手洗いしてしましたが、全く問題ありませんでした。 特に夏物は自分で洗いたいものですよね。 汗かくし。 皆さんも試しながら洗ってみてください。 日本製のもののほうが検査は厳しいと思います。 水で濡れると色落ちするコットンなんて売らないでしょう。 ※さて、来週に迫った川端龍子絵画鑑賞会「東京ハ―ピー」、まだあきがありますのでよろしければどうぞ。異国としてのジャパンテイスト、どうやって取り入れるのがいいのかお話死する予定です。 今、精神科医の中井久夫先生の本を読んでいるのだけれども、
これがとても面白いです。 短期記憶が7プラスマイナス2までという「ミラーの法則」も、 見続けていると意味がなくなる「意味飽和」も先生の本の中に出てきました。 きのう読んだところには「幽体離脱」まで出てきて、 精神科は幽体離脱まで扱うのだなと認識しました。 で、同様にきのう出てきたところに、 他人のどうでもいいことについて異常に気にしている人は、 実はその人自身がそれについて異常に気にしている、 というようなことが書いてあって、 本当にそうだなと思いました。 他人が着ているものとか、お化粧とか、どうでもいいことを気にしている人って、 実はその人自身がそれに関して他人にどう見られているかを気にしています。 そう考えると、 ブンカに来ているような子や、ファッション業界の作る側で働いている人たちは、 他人にどう見られているかなんてほとんど気にしていないので、 ほかの人のことは言わないのだなと思いました。 みんな、自分のことで一生懸命で他人のことまで気にしている暇はありません。 おしゃれをするとかしないとか、 メイクをするとかしないとかはその人の自由なので、 他人にとやかく言われる問題ではありません。 言われても気にしなくていいです。 おしゃれな人は●●を持っているとか、
●●さえ持っていればおしゃれとか、 そんなものはないので気にしなくていいです。 では、なんでそんなふうに書いてあるかというと、 売りたいからです。 ソフトな脅迫です。 ファッションの作る側にいる人たちは、 そんなふうに考えていません。 そんなことを言う人、聞いたことがありません。 とにかく気にしないように。 伝聞ですが、今、20代男子がたくさん古着店へ来ているのだそうです。
そういえば、うちの近所で見るおしゃれ20代男子たちも、 古着+スポーツウエアもしくはアウトドアウエアで、 皆それぞれ違う格好をしています。 どこかで見たことのあるという既視感がありません。 20代女子よりも男子のほうがおしゃれに見えるのは、そのせいのようです。 日本も90年代のほうがクオリティの高い服が多かったので、 古着や中古に、素材が進化した今のスポーツウエアとアウトドアウエアを組み合わせるのが、今は一番格好いいかなと思います。 あんまり持ってはいないのですが、
1950年代以降のファッションが載っている写真集がありまして、 それを見ていて気付いたのが、 ファッション史には出てきているのに、写真集、特に映画女優の写真集には出てこないスタイル、 というものがあるということです。 どういうものが出てこないかというと、 60年代のサイケ調とか、 70年代のヒッピールックとか、 80年代の黒いボロルックとか、 90年代の穴あきジーンズのグランジとか全然出てきません。 基本的に映画女優で後々まで参照されるのはシックでエレガントなルックです。 ジーンズをはいていたとしても、穴はあいていません。 汚めではなく、きれいめです。 きれいで、シックでエレガント。 これが年月を経ても耐えられる要素かと思われます。 写真を撮るときの参考にしたらいいでしょう。 定番と言われてるものほど、流行のシルエットに影響されます。
例えば白シャツ1枚にしてみても、 肩幅、身幅がそのときのシルエットがタイトかビッグかによって、 5ミリ、10ミリと変更が加えられます。 ジャケットやコートも同様です。 そう考えると、 これは定番だから一生着られる、 などと思って買わないほうがいいです。 この時期、一生もののコートなどといって売ろうとしている姿勢を頻繁に見かけます。 一生もののコートなんて、ほとんどありませんから、 あわてて買わないように。 もちろんデザイン的にすたれないものはあります。 だから全くないとは言いません。 けれども、ほとんどありません。 今シーズン、というか、2018・19秋冬では、
「ロゴマニア」というくくりで、 ロゴ入りのデザインをどのブランドも多く発表しました。 しかし今月のはじめに終わった2019春夏では、 ロゴデザインはぱったりなくなりました。 あの盛り上げ方はなんだったのよ、というぐらいにぱったりありません。 ハイブランドのトップレベルだったら、 見過ぎたら、意味を感じなくなってしまう、 意味飽和という心理的な現象があることぐらい知っているでしょう。 ロゴの蔓延は、最終的に自分たちの存在意義をなくします。 情報として出せば出すほど、 大量に同じものを売れば売るほど、 意味はなくなります。 ファッションにおいて意味がなくなるとは、 ファッショナブルには見えないということです。 ファストファッションはそれを逆手にとって、 同じものを大量に作り、意味をなくさせ、次に何か買うように仕向けます。 それにのってしまうと、いくら1点を安く買ったとしても、 たくさん買うことになって、使うお金は多くなります。 そういうことを知った上で、 うまくくぐり抜けないと、 私たちは「やられっ放し」になってしまいます。 気をつけないとね! |
AuthorNaoko Kobayashi Archives
September 2023
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