麻とヴェルヴェット
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何回か書いているけれども、
ある時期から、ファッションレッスンを受けに来る40代の方が、 うちにクレームを持ってくるようになりました。 そのほとんどが、「●●さんのところでアドバイスをもらったり、コンサルタントしてもらって、 あなたはこれを着なさいと言われたけれども着たくない。着なくていいか」 というものでした。 そのたびに、着たくないなら着なければいいと答えました。 こういう方たちは、 これといって好きなものがない、ついてはどなたかに選んでいただきたい、 けれどもその選ばれたものは嫌い、というわけです。 好きなものはないけれども、嫌いなものはある。 どうして嫌いか聞いていくと、 カラー診断で言われた方はその色が嫌いということでしたが、ほかは、 「着た感じが嫌い」「着たくない」など、 非常に感覚的なものでした。 問題にしているのは感覚です。 ファッションは、広告や雑誌、コレクションを含めて視覚が強調されている分野ですが、 実際に着る側にとっては、視覚よりも肌触りといった触覚や、 着て感じる軽さ重さ(これはなんていうのだろう?)、 窮屈さやゆるさなど着た時の視覚以外の感覚の比重が大きくなります。 鏡がないと全身は見られないので、これはしごく当たり前です。 「おしゃれに見える」とは五感の一部である視覚に対する訴えたときの話です。 けれども、着たときは、触覚とその周囲の感覚、 身体と衣服との関係を無視することができません。 若いときはきつくても、着にくくても、多少かゆくなったとしても無視することができた、 自分の身体と衣服との関係が、もう我慢ならない、つまり嫌い、 となるのが50歳あたりかなと思います。 私などは30代から、 ストッキングはかゆくてはきたくないからはかないし、 ワイヤー入りブラジャーも3時間ぐらいしかしていられないほど苦しいのでしません。 この部分においては視覚ではなく、身体感覚優先です。 身体感覚の優先順位が上がってくるのが50歳ぐらいなのかもね。 え、なんですって?ラフ・シモンズ、もうカルバンクラインやめるの?? ファッションレッスンの上級は1月27日(日)午後開催いたします。
対象者は中級を受けた方です。 募集開始は1カ月前です。 あと、来週28日(金)のイベント「くじら館ファイナル」の募集はパンの予約の都合上、 24日(月)で閉め切りますので、お考えの方はお早目にどうぞ。 以上、よろしくお願いいたします。 社会的な位置づけが全くない人などいなくて、
家族は社会の最小単位ですから、そこにいるだけでも社会です。 位置づけがないのではなく、受け入れがたいということだと思います。 社会でのリアルな位置づけが受け入れ難いと、着るものがわからない。 なぜなら衣服は社会に対するアイデンティティ の表明のために使うものでもあるからです。 けれども、それならなぜ50歳なのか?ということです。 社会と年齢は関係ありません。 前の記事で、「誰かの恋人」という役割があったら、 着る服はある、正確に言うと、何を着たらいいかわかる、になるだろうと書きました。 日本で恋愛する人というのは全体の2,3割ぐらいしかいないそうですが、 50歳でとなると、もっと減るだろうということは簡単に予想がつきます。 江ノ島で熟年カップルがあんなにも楽しそうなのは、 多くの人が持つことのできない「恋人」という役割をその年齢にして持つことができたからでしょう。 それはいいとして。 西洋の衣服というものは、着物に比べて女性的要素が強いものです。 女性的要素、つまり女性しか身につけないものです。ハイヒールとかスカート。 よって、男性に対して恋人となったとき、 それが山登りでもない限り、多くの場合、女性はその女性的な要素がふんだんに使われた装いをします。 それは江ノ島の熟年カップルを見れば一目瞭然です。 そういうカップルのうち女性が、「男なのか?女なのか?」わからないスタイルの人は、 ほぼいません。(全くいないとも言いきれません) 50歳で着るものがわからないというのは、 ひとつにこの女性的な要素を取り入れるべきか、取り入れないべきかという問題が浮上するからだと思います。 これが40歳だったら、まだ「女らしさ」を追求するのでしょう。 40代向けの雑誌もそういう感じのものが多いです。 50歳で今から誰かの恋人になる? もしくは、夫とはどういう関係なの? ということです。 これに対して、ええ、まだまだ恋愛するわ! 夫も私のことを女として見ているわ! という場合、着るものはあると感じるでしょう。 女性的要素が強い服はたくさん売っていますから。 自分の社会的な位置づけがはっきりしない、もしくは納得しない、 そしてもう男性に対しての女性を意識しないとなったとき、 社会は急にフラットになって、 着るものは、単に楽で心地よいものか、安くて買えるものか、 そして最後に、好きなもの、 という感じになるのではないでしょうか。 でもこういう方の場合、 雑誌から好きなスタイルを切り抜きしてくださいねと言っても、 切り抜くことすらできないんですよね。 過去に、切り抜きが2枚しかなかったみたいな方は何人かいました。 世の中には、好きなスタイルなどない、人もまた、いるのです。 くじら館の「ご自由にお持ちください」本のコーナーに、
草笛光子さんのスタイルブックがありました。 なんでも今、人気なんだそうです。 ぱらぱらめくってみましたが、女優らしい素敵なルックがたくさん出ていました。 最近また、50歳になったら何を着ていいかわからないという声をよく聞くようになりました。 私は最初、お金の問題だと思ったので、お金がなくても、ファストファッションを買わなくてもなんとかなるという方法を提示しました。 だけれども、それでも何を着ていいかわからないと言う人がいます。 そういう人が、じゃあ例えば草笛光子さんのスタイルがいいと思って、 そのまま草笛さんのスタイルを真似するかといったら、 しないですよね。 なぜか。 なぜなら、その人は女優じゃないからです。 草笛さんは女優アイデンティティが確立しているのであのスタイルです。 ほとんどの人は女優ではないので、あのスタイルにはなりません。 もう随分前、53歳ぐらいの女性で、 「服が売っていない」とおっしゃっていた方がいました。 言った言葉を真に受けて、いやいや売っていますよとお答えしましたが、 あれは真に受けてはいけなかった。 その方が言ってたのは、離婚している、子供はもう家にはいない、 パート勤め、ということでした。 私の本で最初にキャラクターを設定するように書いています。 この方の場合、53歳、離婚歴あり独身でひとり住まい、パート勤め、となります。 たぶんだけれども、この方はこの自分のキャラクター設定が嫌なんでしょう。 このキャラクターと自分自身を一致させたくない。 でもかといって、何かほかにどうしたいというキャラクターがあるわけでもない。 例えば、誰かの恋人だったら、「着る服は売っている」になると思います。 (江ノ島を歩く熟年カップルはみんな楽しそうです!) 現実の自分が嫌だけれども、望みの自分もない。 社会的アイデンティティがクライシスに陥った今、 この社会において、何を着ていいのかわからなくなった。 こんな感じだと思います。 そんなときは、 「好きなものを自由に着ていいのよ」と言われても、 どうすることもできないのでしょう。 ではどうしたらいいかについては、 おいおい考えましょう。 先週まで、くじら館の最後の展示ということで、
所蔵品やその他備品をすべて売るという催しがありました。 そこで、もう要らないと言うのだったら、 私が手に入れようと思っていた藤本涼さんの作品や、 オキュパイドジャパンの置物などを手に入れました。 そのほか、無料で持っていっていい本というのがあって、 その中からも何冊かチョイスして家に持って帰ってきました。 その本の中で面白かったのが数名の作家によるアンソロジーで、 テーマが統一されているわけでもなく、作家がどういう選択されたかの説明もなく、 ただ全編にわたって安西水丸さんのイラストがあるというものでした。 こうやっていろいろな作家の短編を読むと、 自分の好みというものがはっきりわかります。 それは高校や大学のときにははっきりと感じられなかったことです。 それぞれ文体つまりスタイルが違います。テーマも違います。 だから競争はありません。読む人の好き嫌いだけ。 ファッションも同じでスタイルはそれぞれで、 どれが一番とかない世界。 この文体を探すのが若いときで、 文体が確立するのが大人だと思います。 ファッションレッスン上級を1月下旬、
ファッションレッスン中級を2月下旬で実施する予定です。 ファッションレッスン上級は一度封印しましたが、 グループレッスン方式に変更して、新たにスタートします。 上級はすべての人に必要だとは思いませんけれども、 ほかの誰もやっていないし、私が考案したのでどこにも書いていない内容です。 私の経験と知識、そして考えたことをもとにして、 オリジナルの手法で「おしゃれ上級者」に近付こうというものです。 おしゃれとはどういうことか、 魅力とは何か、 自分がそうなるためにはどうしたらいいか、 そんなことについてレッスンします。 初級を受けてから半年以上たち、中級まで終わっている方が対象です。 もう普通は嫌だという方、おしゃれ上級者は何が違うのか知りたい方、 ぜひどうぞ! 日程が決まり次第、募集開始いたします。 私がブログを始めたのが2010年7月です。来年で9年ということになります。
結構古いです。 けれどもその古い2010年の記事、まだ読んでいる方がいらっしゃいます。 まあ基本のことは古くても変わらないのでいいんだけれども、 今見たら、2011年でトレンド予測が書いてあって、 それを読んでいる方がいらっしゃいます。 うーん、それはもう読まなくてもいいと思う。 大きなトレンドと予測についてはメンズも含めてファッションレッスンの中級で説明しています。 ブログには書きません。 だってほら、なんていうの、ねえ。 ウィメンズはピークは過ぎたけれども、 もう少しこの感じです。 これは反対意見もあると思うんですが、
私はもうふだん着としてはどうかというセーターを、 寝る時に着てしまいます。 今年もいきなり寒くなったので、 もうふだん着としても着ないと決めた部屋着レベルのセーターを着て寝ています。 あったかいです。 まあ、十分に暖かいお部屋でお休みの皆さんは、 そんなことをする必要はないと思います。 けれども、寒いお部屋でお休みの場合、セーターを着て寝ちゃうのは なかなかいいのでお勧めです。 特に、あんまり厚みがないカシミアのセーターで寝るなんていうのは最高ですので、 穴があいてしまったカシミアセーターは、捨てる前にぜひ寝るとき用にどうぞ。 私も現在、カシミアのセーターを着て寝てしまいますが、最高です。 どうしても捨てられないときの捨てる方法については、
ファッションレッスンの中級でやるので、 知りたい方はぜひいらしてほしいです。 なんでかというと、この方法は文章ではなかなか表現できない身体の感覚を使うので。 あとは、引っ越すことを想定してみるとか、 親の家を片付けて、荷物が多いことがどんなに大変か体験してみるとか、 そんな方法もいいかもしれません。 究極は、自分が死んだら誰がそれを捨てるのか考える、 ですけれども、 なかなかそこまでやる人はいないですよね。 たぶんね。 一番最初に私がブログを書いたきっかけは、
ミクシィのコミュニティで、洋服の捨て方がわからない、 という人に対してお答えした部分を削除して、 ブログに移したことでした。 その答えを書いたのが2010年の話。 なにを残すかについては、本に書きました。 このブログを今読んでいる方は大体お読みになっているのでわかるはずです。 それでもなお、捨てられないという話を聞きました。 20代に買ったもので、もう着ない。 引っ越しを考えているので捨てたいけれども捨てられないの~ よく話を聞くと、 どうやらその服にはいい想い出が目いっぱい張り付いて、 捨てられないのはそのいい想い出。 その服を着ていたら褒められたそうです。 じゃあさ、その服じゃなくて、今着られる服で褒められる服を探そうよ、 そして褒められた想い出を上書きしようよ、 ということですね。 本当に捨てられないのは、モノとしての服じゃなくて、 そのモノにまつわる思いです。 |
AuthorNaoko Kobayashi Archives
November 2023
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